旅館・奮発した舟盛りが

子どもも大きく成って予定が合わないからここ最近温泉なんてぜーんぜん行けないです。
ホテルでも旅館でも宿泊先はどこでも良いから上げ膳据え膳で家事を休みたい時がありませね。 だって主婦には休みなんて全然ないんだもん。事、子どもが大きくなってくると、まるで家政婦みたいですね。
帰宅時間も遅くなる上、口から出てくる言葉は「ご飯は?」「ユニホーム洗ってくれた?」「ジャージは?」 特に男の子はこんな会話ばかりですね。たまに息子に「ご飯食べに行かない?」なんて聞くと「メンドイ」 この4文字で片付けられてしまいます。娘とはよく話してくれる方ですが高校生ともなると学校行事で忙しく 土・日はバイトで、たまの祝日はしばらくぶりの友達の再会だったり彼氏だったり…。
子離れしなくちゃいけませんね。でも、お友達もそれぞれ家庭があってなかなか都合が合わないものですよね。 子どもが小さい時に良く言われましたけど「この位の内が花ね」なんて言葉、今では聞く方でなく言う方の立場になってしまいましたよ。 子どもが小さい時はほとんど大人の予定で旅行を計画出来ましたからね。
その時は気づかなかったけど、やっぱりあれ位の頃が花だったんですねー。 そういえばこれも記憶に残る旅行のひとつなんですけど、以前、子どもが小さい頃に行った塩原温泉。久々の旅行でした。 ホテルにしようか、旅館にしょうか宿泊先に迷いましたがその時はゆっくり温泉に入りたかったので旅館にしました。
久々だったので奮発して予約の時に貸切り風呂と舟盛りも注文しておきました。色々と観光してからのチェックインを計画。 日中は色んな観光名所を周りそろそろチェックイン。まずは貸切風呂。家族でいざ!扉を開けてビックリ。先客が居ました。
お猿さん!子ども達が「お猿さんだー。」とはしゃいでいるとお猿さんは「チッ!」と言ったような表情でその場を立ち去りました。 お猿さんの次だから1番風呂ではなく2番風呂になってしまいましたけど、実際に入浴してるのを見たのは初めてでした。
そして、そして…。お楽しみの夕食タイム。奮発した舟盛りもキチンとありました。 「キャハ♪」と思ったのもつかの間…。次男は日中の疲れで寝てしまったのです。
続いて娘…突然「気持ち悪い。」おでこに手を当てると発熱。長男までもが「僕も頭痛い」こちらも発熱。 えーーー!舟盛りは!?せっかく子ども達を喜ばせようと奮発したのに何が悲しくて大人が黙々と、それこそ気持ち悪くなる位食べました。 もう舟盛りは頼まないんだ!と、私が少しいじけた旅行だったですね。

最初期の陶芸は手でこねて焚き火で焼かれていたものと考えられている。
焼成時間は短いが、火中で得られる最高温度は恐らくは900℃前後と高く、また非常に速やかに到達したものであろう。 焚き火による土器には砂、砂利、砕いた貝殻や土器の破片などを混ぜた粘土が用いられることが多かった。
これにより素材を粗くし、粘土に含まれる水分や揮発性の成分が自然に放出されるようにしたのである。 粘土内の粗い粒子はまた冷却中に起きる焼きものの収縮を抑え、熱応力による破損のリスクを低減させる役割も果たした。 概して、初期の焚き火による土器は、破損しやすい鋭角を避けた円い底を持つことが多かった。
意図的に作られた最初の窯は、穴を掘って燃料で覆った穴窯もしくは溝釜であった。 地面に開けた穴は断熱を提供し、焼成を制御しやすくした。
現存する最古の焼きものとされているのは、今日のチェコのドルニ・ヴェストニッツェ などで発見されたグラヴェット文化の人形である。ドルニ・ヴェストニッツェのヴィーナス は紀元前29000-25000年のものとされる裸婦の人形である。
現在までに発見されている中で最古の焼きものの器とされるものは 中国南部の玉蟾岩遺跡から発掘されたもので、2009年の米国科学アカデミー紀要ではこれらは18000年前に遡るとされている。

紀元前10500年頃のものとされる、日本の縄文時代初期の縄文式土器も発見されている。
「縄文」というのは「縄の文様がある」 という意味であり、縄を巻き付けた棒を用いて土器の器や人形に付けられた文様から取られた名前である。 北アフリカでも紀元前10千年紀ごろに、南アメリカでも紀元前7千年紀ごろにはそれぞれ独立して陶芸が発達していたようである。

多くの文化圏において、最初期の器は手でこねて成形し、もしくは粘土を細く丸い紐状にしてからとぐろを巻かせて器の形にして作られていた。
中近東での最初期の陶芸生産の歴史は4つの時代に区分できる。ハッスナ期(紀元前5000-4500年)、ハラフ期(紀元前4500-4000年)、 ウバイド期(紀元前4000-3000年)、ウルク期(紀元前3500-2000年)である。
メソポタミアではハラフ期には釉薬が発見され、ウバイド期での轆轤の発明は陶芸に革命的変化をもたらした。 専門家した陶工たちは世界最初期の諸都市での拡大する需要に応えられるようになったのである。 古代インドでもメヘルガルII期(紀元前5500-4800年)から新石器時代・銅器時代として知られている。
エド・ズール器として知られているものを含むインダス川流域を起源とする陶芸品がインダス文明の諸地域から発見されている。 地中海沿岸では、古代ギリシアの暗黒時代(紀元前1100-800年)ではアンフォラやその他の陶芸品の装飾に四角、丸、線といった 幾何学文様が用いられていた。古代朝鮮の紀元前1500-300年の時期は無文土器時代として知られている。 陶芸の品質は歴史的に見てばらつきがあり、これは部分的にはその共同体における陶工の評価に応じたものとなっている。